乗光寺について
当山御開山・日條上人は越前の上木氏の出で、加賀藩3代前田利常公の実母寿福院の甥である。
武生市経王寺の弟子となり、叔父の妙成寺第14世の日諄上人のあとを受けて、元和元年(1615年)妙成寺第15世となった。
当山創立は慶安2年(1649年)とされ、利常公、寿福院の援助により、他宗派であった羽咋常光寺を改宗改称し、現在の地に移し、富山藩10万石分封に伴う藩士の菩提寺として建立された。
当山の木造十界曼荼羅御本尊は、第16世薩心院日融上人の代、仏師治郎次涌慶および神尾孫作運安により制作されたものである。
大戦時に富山市一帯は空襲の被害を受け、当山も例外無く焼失したが、第21世一条院日清上人が仏像を持ち疎開先へ避難したため、当山に安置されている仏像は戦前のものそのままである。
昭和初期まで境内には星乃井という井戸があり、桃乃井、藤乃井と共に越中3名水といわれた。巡遊中の藩主がその清らかな水に星が映っているのを見て「星乃井」と命名したという。
現在は境内の隅に井戸があったことを示す石碑があるのみではあるが、星乃井から名を冠した「星井町」という町が近辺にある。